日本人の食生活に欠かせない海苔(のり)。今や世界中で食されている。その海苔を加工販売する金原海苔店(東京都大田区東糀谷)は、海苔養殖業の発祥の地・大森で創業した老舗。専門店が減る中でも、スーパーやディスカウントストアなどへの販路拡大に成功し、同業者の中では大規模となる年商15億円超の企業に成長した。そんな同社の金原満社長は、70歳を過ぎてもなお、午前2時に出社し、生産設備を動かし続ける鉄人だ。しかも、休みになると演歌歌手「大田みつる」としても活動する異色の経営者でもある。
金原海苔店・金原社長、年商30億円達成へ日々現場
■いち早く韓国産に着目
工場では一般用・業務用を合わせ、日量30万~40万枚を生産する。国産・韓国産の海苔を仕入れ、焼き工程を経て裁断。さまざまな形状やサイズにして梱包する。そして大手流通チェーン店頭などに並べられる。
業界ではいち早く、15年以上前に韓国産海苔に着目、輸入を始めたことでも知られる。海苔養殖は日本発祥だが、近年は韓国や中国でも盛んになった。
本場の日本では、海苔の養殖業者が後継者難に苦しみ、消費者の嗜好(しこう)変化で専門業者も減少傾向にある。それに対し、韓国は海苔養殖を外貨獲得のための輸出産業として国が後押し、参入企業が相次ぐ。舒川(ソチョン)海域などは海苔産地としても知られる。
金原社長によると、現在、海苔の国内市場は年間生産量で65億枚。最盛期と比べ激減した。一方、韓国は160億枚生産するまでになっている。
金原社長が韓国産を扱う理由の一つが、海苔の価値決めに対する日韓の違い。日本だと、一番摘みや二番摘み、三番摘みで価値が変わる。韓国は量で決める。「それならば、日本で重宝される一番摘みなどを韓国から仕入れたら消費者にも受け入れられると思いました」と輸入を決意した。やがて、国内市場にじわりと浸透していった。
■午前2時から工場入り
「1日12時間以上は仕事をしていますね」と金原社長は言ってのける。15歳から先代である父・金原武氏を手伝い始め、今でも午前2時から欠かさず海苔づくりの現場に入る。
同社のように都内にある工場は、規模的にも日中の生産能力に限界がある。だから、夜間も回す必要がある。金原社長は、午前8時頃までには作業を一通り終え、一時帰宅して仮眠し、再び出社する日々を過ごすという。
従業員は約50人いるものの、経験を必要とする「焼き」の工程ができるのは金原社長を含め社内には数人しかいない。だから社長が率先して現場に入り、社員たちに背中を見せているのだ。
70歳を過ぎても、仕事へのモチベーションは並々ならない。そこには、バブル崩壊直後の債務超過、存続問題に直面した経験が大きいという。「あの時の汚名を返上し、30億円企業に育てたいという強い思いがあります。もっと会社を大きくしたいです」との目標がある。すでに千葉・茂原市内に大規模工場を建設する計画も打ち出した。