金属加工業、高橋製作所(川崎市宮前区馬絹)は「稼げる町工場」を実現させる。若者が続々と集まり、社員の定着率が驚異的に高いのも特徴だ。とはいえ、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。家業を引き継ぐため、3代目となる髙橋理仁社長と弟の繁幸専務が入社した直後は、大手製造業の海外生産移転やリーマンショックの影響が色濃く残り、倒産寸前の町工場だった。だが、兄弟で力を合わせていくつもの壁を乗り越え、見事、優良企業に変えた。
壁を乗り越え一新、若者が集まる
■どん底からの出発
川崎市内の本社・工場を訪れると、とても町工場とは思えない建物の外観が目に入る。中に入ると清掃が行き届いた室内にポップなBGMが心地よく響き、20代から80代の職人たちが夢中で作業をしている。
「町工場イコール暗い。しかも油で汚いというイメージを払しょくしたいです。あまり型にはまりたくないんです」と、高橋社長は開口一番に話した。
数ある金属加工業の中でも、機械加工が主力。その中でもマシニングセンターや汎用フライス盤による「角物」を得意とする。取引先は累計100社。うち半分は常時取引関係にある。
「年間を通しても、稼働率は90%を超えます」と高橋社長。現在、光学関係からオートバイ部品など、実に幅広い業界からの注文が寄せられている。
だが、少なくとも十数年前は今とは真逆の状況だった。
かつて税理士事務所に勤務していた高橋社長。1959年に祖父が創業した同社に入社したのは、リーマンショック後のこと。
当時は大手電機メーカー1社への依存体質。くしくも、製造業の海外移転が進んだ時期でもあり、受注は激減。資金も底を尽きかけており、どん底だった。まもなくして横浜市内の機械加工業で修業していた繁幸専務も入社。高橋社長が会社の内部を見直し、繁幸専務は営業を担当することになった。
しかし、いくら忙しく、受注をこなしても利益が出ないジレンマがあった。「結局、同じ加工業者からの2次、3次請けの仕事をやっていても利益は出ません。だから、取引先を一新し、仕事の取り方も変えていく必要性を痛感しました」(繁幸専務)。
それからは、県内各地の受発注商談会に積極的に参加。「たとえ相手が中小企業だったとしても『メーカー』であって直取引ができれば、単価交渉はもちろん、提案もできるようになります」(同)と、徐々に取引先を増やしていった。そして今に至る。
■社員に業績手当
現在、専務を入れて3人の営業職を置く。しかも、中小製造業では珍しく「歩合制」を導入。基本給とは別に、新規獲得した案件の利益の一部を還元している。
「人速対応・精巧納品」がスローガン。同社の場合、営業時に取引先から「(単価が他社より)2割高い」と言われても、しっかりと受注につなげる。
その理由として「高くなればその理由をしっかりと説明しています。また『受注から納品まで“最速”でやる』という姿勢も差別化です」と明かす。
現場では工夫を凝らす。例えばマシニングセンター。計10台をそろえるが、特徴的なのが全て同じメーカー、同じ機種に統一している点だ。高橋社長は「全て工具、プログラムが共通ですので、融通が利きやすく、生産の見通しも立てやすくなります」と、その理由を語る。
社内ではモチベーションアップのため、会社として毎月の業績が損益分岐点を超えて利益が出た場合は、翌月に「業績手当」を全社員に支給する。そこには、稼げなければモチベーションにもつながらないという考えがある。
原則として残業もなく、過去10年間、社員の自主退職はほぼゼロ。規模拡大は目指さないとしているが、将来的には「設計部門を持ちたいです」(髙橋社長)との構想も描く。