半導体は近年、“産業のコメ”のみならず、石油と並ぶ国際戦略物資としての色合いを強めている。これに伴い半導体の製造技術やそのサプライチェーンを維持・拡充する重要性も、かつてなく高まっている。こうした中、「神奈川県発日本版シリコンバレーの構築」を目標に掲げるTNPパートナーズ(横浜市港北区新横浜)は、半導体に関わるスタートアップや研究者たちへの支援活動を続けている。半導体回路の微細化に欠かせない電子ビーム装置の性能を飛躍的にアップさせる基礎技術を見いだし、ノーベル賞受賞の期待もかかる国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)の主任研究員・達博博士に、この革新的技術が半導体製造に与えるインパクトなどについて聞いた。
物質・材料研究機構(NIMS)主任研究員・達博博士に聞く
─博士の研究分野を教えてください。
「私は大学時代 、理論物理学を専攻していました。2010年のことですが、単結晶でも準結晶でもない“第3の結晶構造”があるのではとのアイデアが生まれました。しかし、それを実証するのは当時の中国では難しく、材料研究の最先端を走っていた物質・材料研究機構(NIMS)に留学し、その後研究員となりました」
「NIMSで発見した酸化インジウム薄膜の『円柱対称回転結晶』は、従来の結晶学の体系では説明ができないまったく新しい結晶構造をしており、この円柱対称回転結晶のさらなる原理の解明と、この結晶を使った半導体分野への応用研究を進めているところです」
─半導体分野ではどのような応用を考えているのですか。
「電子回路の微細化が進む半導体チップを作るのに欠かせない電子ビーム装置への応用です。現在、半導体チップ上に回路パターンを描く時に使われる電子ビーム装置は、電子銃から放出した電子を複数の電磁レンズを使って制御し、チップの表面に焦点を合わせています。しかし、電磁レンズはかさばる上に、磁場の相互干渉を避けるため、ある程度間隔を保って配置せざるを得ず、結果として半導体露光装置は部屋1つ分に相当するような巨大な機械になっています。また、技術的にも電磁レンズを使った電子の精密制御にも限界点が見えてきました」
「一方、私が発見した酸化インジウム薄膜の円柱対称回転結晶には、電子に作用するという特性がありました。そこで、この性質をさまざまな分野に応用していく『電子回析光学』という領域を立ち上げるとともに、電磁レンズを使わず、酸化インジウム薄膜という材料と電子回析光学を組み合わせて電子を制御できる新たな電子ビーム装置を開発しようという方向になったのです」
─実用化された場合、どのようなインパクトがありますか。
「現在、オランダのASML社が製造している極端紫外線(EUV)を使った世界最先端のEUV露光装置以上の性能が得られると考えています。電子ビームの制御精度が飛躍的に向上するため、より細密な回路パターンを描けるようになります」
「また半導体業界では生産効率をさらに上げるため、現在の単一電子ビーム露光から並列電子ビーム露光(MEBL)への転換が有力なソリューションとして提唱されていますが、このMEBLの実用化の上でも、電子回析光学と電磁レンズレス電子ビーム装置は最も重要なキーデバイスになるものと想定しています。まずは電子ビーム装置の回折レンズシステムを完成させると同時に、電子回析光学の理論フレームの構築を急いでいきます。この技術は半導体製造分野にとどまらず、材料分析や量子計算といった多岐にわたる分野に応用できる可能性があります」
─TNPパートナーズは長年、神奈川を「日本のシリコンバレー」にしたいと取り組んでいます。
「私の目標は、円柱対称回転結晶の発見という科学的ブレークスルーを、世界の科学技術と産業の発展に貢献させることです。この信念に基づいて、『材料改変世界、我々創造材料(材料が世界を変える、私たちが材料を創る)』というスローガンをNIMSに提唱したところ、NIMSの公式プロモーションに採択されました」
「電磁レンズを使わない電子ビーム装置の開発を巡っては、最近、米の半導体製造装置メーカーの経営幹部から直々に接触がありました。これに比べると日本のメーカーのスタンスは、皆、開発が出来上がってからアプローチしてくるという印象です。ぜひとも神奈川の会社には、横並びではなく、リスクを取ってでも挑戦していく姿勢を貫き、日本版シリコンバレーを実現していってほしいと願っています」
略歴
だ・ぼ…中国科学技術大学を卒業後、2013年に国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)に加入。16年に研究員、19年に主任研究員に昇進。NIMS理事長進歩賞(17年)、花王科学奨励賞(22年)、日立財団倉田奨励金(23年)を受賞。電子ビーム業界の第一人者である大阪大学・志水隆一名誉教授 (元日本学術振興会第141委員会委員長)から高く評価され、後継者・志水派のリーダー役として見られているという。