店舗の入り口などに置かれている玄関マット。そして、今や当たり前になっている「じゅうたんクリーニング」。これらのパイオニア的な企業がホームダスター商事(東京都大田区萩中)だ。1967(昭和42)年、浅草でクリーニング店として創業した同社は、高度経済成長期の波に乗って、次々と業容を拡大。レンタルマットやインテリアクリーニングの分野を開拓してきた。一方で、クリーニングのノウハウを生かし、40年ほど前に自社商品となる業務用洗浄剤を開発。ロングセラーになるなど、メーカー機能も有している。コロナ禍やウクライナ情勢など、先行き不透明な時代の中で「キレイにする需要はどこにでもあります」と佐藤尚志社長は語り、さらなる成長を見据える。
歴史とともに業容を拡大
■ストック型ビジネス
業容は幅広く、「お客さんの数だけで数千はあります」(佐藤社長)と言う。
同社のビジネスを大きく分けると、玄関マットやモップなどを貸し出す「レンタル部門」、そしてビルメンテナンス業者向けに業務用洗剤や清掃器具・機械、洗浄剤を販売する「インテリアクリーニング部門」がある。
さらには、じゅうたんクリーニングや都内の公立高校の学校備品のクリーニング、ビルメンテナンス...。“キレイ”を共通のキーワードに、さまざまなメニューをそろえる。
レンタル事業の顧客は、都内・県内のオフィスや飲食店、医療施設など多岐にわたる。中には、誰もが知る有名ビルの管理会社もある。
「いわばストック型ビジネスです」とするレンタル事業は、店舗やオフィスなどと契約し、玄関マットなどを貸し出し、決められた頻度で訪問し交換していく。
確かに、コロナ禍を背景としたテレワーク普及や、飲食店が大打撃を受けたことでの影響はあった。ただ、同社の場合、レンタル事業でBtoCにも広げたことが幸いした。家庭にモップなどの清掃器具や洗浄液を提供したり、エアコンをクリーニングしたりすることで、顧客数を増やすことに成功。リスク分散を図った。
■新しいことに挑戦
約半世紀前、浅草で「大和クリーニング店」として出発した同社が、なぜ生き残り、拡大できたのか。
そのヒントとして常に新しいことにチャレンジしてきた姿勢がある。当時、じゅうたんクリーニングや化学ぞうきんのレンタルは日本では普及していなかった。無論、レンタルマットもだ。しかし、室内で靴を脱ぐ習慣がない米国では、これらが先行して普及していた。
当時の日本は高度経済成長期。いずれは流行するとにらみ、じゅうたんクリーニング用として、米国からポリッシャー(洗浄機)を導入して始めた。
やがて「インテリアクリーニング協会」を創設することになり、全国の同業者たちにもノウハウを伝えた。その中で、独自開発した洗浄剤「Aシャンプー」と、前処理剤「スチームクリーンZ」は、今でも売れ続けている。
また、最近では自社開発したアルカリ性の電解水も販売。コロナ禍で重宝されたが、アフターコロナでも油汚れなどの洗浄に役立つとして、こちらも売れ続けている。
今後もさらなる規模拡大を目指しつつ“キレイにする”ためのあらゆるニーズを拾っていく。